
「騙されたほうが悪い」という声に伝えたい。詐欺被害者が声を上げる理由
「騙されたほうが悪い」と言われて、心が折れそうになった
詐欺被害に遭ったとき、多くの人がまず感じるのは「自分のせいだったのかもしれない」という自責の念です。そして、その思いをさらに深くえぐるように、周囲から投げかけられる言葉があります。
「騙されたほうも悪いんじゃない?」「注意しなかったあなたの責任でしょう」「自己責任でしょ、それって」
私は、これらの言葉を何度となく耳にしてきました。そしてそのたびに、怒りと悲しみ、そして“声を上げることへの恐れ”が心に渦巻きました。
自己責任論の「正しさ」の罠
たしかに、「もう少し注意深ければ」「あの時すぐに調べていれば」と思う場面はあります。でもそれは「責任」ではなく、「結果論」です。
詐欺の加害者は、相手の心の隙や善意を逆手にとって、意図的にだまそうとします。相手は“だますプロ”です。たとえこちらが注意深くても、見抜けないほど巧妙な手口を使ってきます。
それを「見抜けなかったあなたが悪い」と言ってしまえば、加害者の悪意よりも、被害者の“油断”のほうが重いという、ゆがんだ構図が出来上がってしまうのです。
被害者が声を上げられない本当の理由
被害者が沈黙してしまうのは、単に「恥ずかしい」からではありません。声を上げたその先で、「あなたにも落ち度があるんじゃないの?」という視線にさらされるからです。
この社会には、明確な“傷”や“証拠”がなければ、助けてもらえない空気が漂っています。そして、声を上げるたびに、被害者自身がさらに傷ついてしまうという現実があります。
この空気こそが、詐欺を“泣き寝入りさせる構造”にしているのです。
誰もが被害者になりうる社会で、私たちにできること
私は、実際に詐欺被害に遭いました。でも今は、その体験を“恥”とは思っていません。
なぜなら、あの経験があったからこそ、見えてきたものがあります。そして、同じように苦しんでいる人たちが、たくさんいることにも気づけました。
だからこそ、私は今、被害者が声を上げられる場所をつくりたいと考えています。自分の言葉が、誰かの勇気につながると信じて、発信を続けています。
「自己責任」という言葉で、誰かの声を潰さないために
「自己責任」という言葉には、ある種の“正しさ”があります。でも、その言葉が本当に必要なのは誰のためなのか――少しだけ立ち止まって考えてみてほしいのです。
誰かが声を上げたとき、まず必要なのは「あなたは悪くないよ」と寄り添うことではないでしょうか。
私たちは、失敗を責め合う社会ではなく、学び合い支え合える社会をつくっていく必要があります。そして、その第一歩は、「誰かの声に耳を傾けること」なのかもしれません。
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